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自称『日本一文章を書くのが好きなふとん屋』宣言

私は『日本一文章を書くのが好きなふとん屋』を自称しています(笑)

自称しているだけでなく、周りの人の評価も同様です。ですからおそらく誰からもクレームはつかないのではないかと思います。人からは『いっそのことふとん屋を辞めて、物書きとかコンサルタントの仕事をやったら』なんて言われます(苦笑)

でもふとん屋という仕事があって、そこでお伝えしたいことを表現するための手段として、文章を書いているのであって、もしこれが仕事の全てになってしまったら、しんどくて続けてはいられないと思っています。

ちなみに私の作る『チラシ』や『DM』などは、同業者の中ではちょっとした評判です。

そして『すごいねぇ。』『あんな手間のかかるものをよく作るねぇ。』なんて言われることもしばしばです。一見したところ『褒め言葉』のように思われるかもしれませんが、そういった言葉の裏に

『そこまでの手間を掛けて、それに見合った売り上げが作れているの?』

というニュアンスが見てとれる場合もよくあります(苦笑)

私にとって『チラシ』や『DM』は『販促物』というよりも『作品』なんです。さらに言うと『自己表現』の手段なのだと思っています。ですから何より『自分自身が楽しんで作ること』そして『読んだ方に楽しんでもらうこと』が重要なのです。

これを『売り上げを上げるために・・・』と思って、肩肘張って作ると、結局私自身も、それを見るお客様も楽しくないと思うんですよね。

私は『商売とは“人の営み”である以上、単に売り買いを仲介するだけでなく、そこには商売する者の人生観が投影されなければならない。』と考えています。

そして、テクノロジーが驚くべきスピードで進化し、私たちの生活を取り巻く環境の利便性も日進月歩のこの時代だからこそ『人間臭く』この仕事に向き合いたいと思っています。

であるからこそ『他人から見れば無意味なくらいの手間を掛けて、このような作品を作っているマニアックな私』という人間に共感いただける方に、ウチのお店をご利用いただければ嬉しい・・・と、私は思っています。

そんな私ですから、私の作品をご覧になった方から『楽しく読ませてもらいました』『共感しました』という言葉が何よりのご褒美です(笑)

社長 石川克幸ストーリー

広島県のサラリーマンの家に生まれて

神奈川県でサラリーマンとして生きていた私

そんな私が、縁あってこうして香川県でふとん屋をやっています

人生とは不思議なものだと思います

そんな私の人生をストーリー仕立てでご紹介します

よろしければご一読くださいませ

熱狂的カープファンだった少年時代

昭和50年(1975年)私の生まれ故郷のプロ野球チーム広島カープは、創設25年目にして初優勝。万年最下位と言われた地元チームの栄誉に、広島県民は空前の盛り上がりとなりました。

当時私は小学校2年生。それまでプロ野球に全く関心の無かった私も、親たちと一緒になってカープを応援ました。今でも子供の頃の一番の思い出と言えば『カープ初優勝』。不思議なもので小学校5年、6年の時の思い出がそれほどはっきり残っていないのに、小学校2年生の時のあの出来事だけは今でもはっきりと覚えています。24歳の時に広島を離れて、現在50歳、広島以外の土地で過ごした時間の方が長くなってしまいましたが、もちろん今でも熱狂的カープファンです。

それにしても、今こうして香川で『ふとん屋』という仕事をしているのを不思議に思います。子供の頃の夢と言えば『作家』『科学者』『プロ野球の審判』『プロの将棋指し』などなど・・・もちろん深く考えてのものではないが、その中に『ふとん屋』という選択肢はもちろん全くありません。さしたる目標もないまま地元の広島大学『総合科学部』に入学し、そのまま大学院『生物圏科学研究科』まで行き『神経生物学』を専攻した。そんな私が就職先に選んだのが、神奈川県の小田原市にある『カネボウ化粧品研究所』でした。

泥臭かった『化粧品研員』という仕事

『世の中にない画期的な化粧品を作りたい』とか大志を抱いてではありません。何となくイメージが良さそうだったから。当時はバブルの終わりかけの頃で、就職先選びに苦労の超売り手市場。私のようないい加減な人間でも採用してもらえた時代。父親も自動車メーカー『マツダ』のサラリーマン。そして私もサラリーマン。自分の人生にビジョンなんて全くなかったけど、このまま定年までサラリーマン終えるのだろうと漠然と思ってました。

世間一般の『化粧品』『研究』という仕事に対するイメージはどんなものでしょうか?自分の開発した口紅やマスカラがお店に並び、女性はきれいになりたくてそれを買ってくれる。いわば『女性に美を提供する』仕事。世間一般のイメージからすれば、非常に華やかな仕事と映るかもしれません。

でも実際には『水』と『油』と『粉』を混ぜる仕事。自分で作った試作品を、自分で付けてみて『これは発色がイマイチ』とか『これは付きが良いけど、持ちが悪い』とか・・・ある意味マニアックで、泥臭い仕事です。ある日自分が口紅を付けたのを落とし忘れてそのまま退社、途中で寄ったコンビニで店員さんに変な目で見られたことがあります。

新入社員研修の時のもの。
男が化粧をしている姿を見るのは気持ち悪いものです(苦笑)

新商品の開発が佳境に入ると、一日100回くらい化粧品を付けては落としてということを繰り返します。口紅の開発担当だった時には、唇がカサカサに荒れていたし、マスカラの開発担当だった時には、朝起きたら目から真っ黒な目やにが出たことも一度や二度ではありません。

雑誌『美的』の『WE LOVE マスカラ!』特集に登場したことも(『藤本』は昔の苗字)

絶体絶命の大トラブル

研究・開発の仕事は、新しく品質の優れた化粧品を開発できればそれで終わりではありません。目指す品質の製品が、工場の大量生産でも安定して出来ないと意味がありません。料理で例えると分かりやすいと思います。1人前作るのと100人前作るのでは、同じように作るのはかなり難しいはずです。試作で1キロ作るのと、工場で1トン作るのでは、時として別物になってしまう事もあります。

私が開発したマスカラの新製品を工場で生産したところ、何度作っても研究所での試作品とは似ても似つかないモノになるのです。一日中工場に入って生産立会いをし、夜になったらその状況をもとに工場の幹部たちと会議(その日の生産結果報告と対策会議)。家に帰ったら深夜、かなり遅めの夕食を摂ったらすぐに寝て、そして翌朝起きたら会社に直行し、前日生産した製品の物性をチェック。

こんな日々が何週間も続きました。

それでも生産が上手くいかないと、夜の会議で『いつになったらちゃんとしたモノができるんだ!』と怒号が飛び交うことに。怒られるのはもちろん私。あの時は辛かったです。もしあの時健康診断を受けていたら、おそらく『胃潰瘍』と診断されたのでは。

しまいには

『これ以上やっても無理なので、本社に掛けあって発売を延期するか?』

という話にまで発展。

それをやってしまうと会社の販売計画に大きな穴を空けてしまうことになるし、何より私のプライドが許しません。工場の人たちに土下座をする勢いでお願いして生産を続けさせてもらい、試行錯誤のうえ何とか思い通りの商品を生産できるようになり、無事予定通り販売にこぎつけることができました。今思えばあの時の経験があるから、ちょっとぐらいのピンチでは何とも思わない精神力が身に付いたと思います。

逆境をバネに大成功

年に数回『販売会議』なるものが行われます。全国から販売責任者が集まり、その方々を対象に新商品の良さをプロモーションするための会議です。

『化粧品本部』や『化粧品研究所』の担当者がプレゼンテーションを行うのです、通常は新商品の『コンセプト』や『技術的な良さ』を伝えるのが一般的。しかしながら私はこののマスカラのプレゼンテーションをするにあたり、技術的な話はほとんどせず、ひたすら『工場生産の苦労話』をしたのです。

この時の会場の反応はすごかった。

私がプレゼンテーションを終わり壇上から降りようとすると、このような苦労話は日本人の心の琴線に触れたのでしょう、それこそ会場内はスタンディングオベーション。これまでの苦労が報われた瞬間でした。

『それだけ頑張って開発してくれたのなら・・・』と全国の販売員さんたちが力を入れて販売してくださったおかげで、その新製品は目標を大きく上回る結果を残すことが出来ました。

カネボウ化粧品研究所での経験は私の財産

カネボウ化粧品研究所時代は、人間関係にも恵まれ、何の不満もない楽しい生活を送っていました。

でもその一方で『自分の人生このままで良いのかな?』という想いは心の中でくすぶっていたのもまた事実です。ちょうどその頃同じ研究所の隣の部署に、後輩として入社した来たのが現在の妻でした。

私たちは2001年の4月に結婚し、その後もカネボウに2年余り勤め、2003年7月にカネボウ㈱を退社し、妻の実家である西部製綿㈱に入社しました。

今こうしてふとん屋として仕事をしていて思う事は、カネボウ時代があるからこそ、今の自分があるということ。
扱う物は『化粧品』から『寝具』、職種は『研究』から『販売』へとまったく畑違いの仕事をしているワケですが、カネボウ時代の経験が今の仕事のいろいろなところで活きていると思うし、今でもカネボウ時代のことを懐かしく思い出すことがあります。カネボウ化粧品研究所での11年間は私にとって大きな財産です。

最初『ふとん屋』の話を聞いた時どう思いましたか?

もし妻と出会わなかったら、そもそも私はふとん屋になるどころか、ふとん屋に行くことすらなかったはずです。それくらい私にとってふとん屋は縁遠い存在でしたし、ふとんというものに対して全く無関心でした。『羽毛ふとん1枚が5万円、10万円?何それ?高いなぁ。いらんわ…』というのがそれまでの私です。当時まだ若かったこともあり『ふとんなんて安くても何でも、寝られさえすればそれで構わない』と思っていました。

ただ・・・妻の嫁入りふとんで初めて寝た時には感動しました。

羽毛ふとんの軽さと暖かさ、マットレスの寝心地の良さ(腰がとても楽でした)。『ふとんってこんなに気持ち良いんだぁ』ということを生まれて初めて知りました。それからは毎晩寝るのが楽しみになりましたね。今私がこうしてふとん屋として、お客様に良い寝具をご提案している原点は、間違いなくあの時の感動にあります。

よく『ふとん屋』になる決断をしましたね?

理屈で考えたらそのままカネボウに残った方が良いに決まっています。給料の面でも、休日の面でも・・・研究員の仕事って自分で融通が付くので、好きな時に有給休暇取ることができ、年間120日は休んでいましたからね。それが今では、実質ほぼ無休です(苦笑)さらにはカネボウ化粧品研究所はアットホームな職場で、良い仲間たちがいて、居心地も良かったですし。

でも私にはどうもあのままの人生を歩んでもワクワクしないような、そんな気がして、新しいチャレンジをすることにしたんです。

それともう一つは・・・こんなことを言うのは照れ臭いですけど、妻です。

もし西部製綿という会社がダメになったとして、無一文になったとして、いわゆる四畳半一間の生活になったとしても

自分で会社を経営する立場になるということは、そういったリスクも考えないといけないと思うのですが

『もし無一文になったとしても、この人と一緒なら幸せに暮らしていけるだろう。』と思えました。そう考えたら何も怖れるものはないですよね。すっぱりと前向きに『婿養子として西部製綿を手伝ってやる』と決断をしました。

西部製綿に入社した時に、それまで『藤本』だった苗字を『石川』に変えました。仕事を変わるのはさほどに思わなかったけど、苗字を変えるのは重かったですね。役場に届け出する時にはさすがに“ぐっ”とくるもがありましたよ。

ふとん屋になって最初はどうでしたか?

まず最初に痛感したのは『自分ってなんて無力なんだろう』と・・・(苦笑)。

考えてみたら当たり前の話なんです。『寝具』とか『眠り』の知識はほとんどなし。おまけに『接客』『販売』の経験も皆無でしたので、自分に出来ることが何も無かったです。最初の頃は一人で店番をしていてお客様が来られるとか逃げ出したい気分でした(苦笑)

それまで11年間化粧品研究員として、それなりのプライドを持って生きてきたつもりでしたけど、そんなプライドは見事に打ち砕かれましたね。

それともう一つ、入社したのが夏場だったこともあり『ふとん屋ってこんなにお客様が来ない(少ない)んだぁ(-_-)』・・・と(苦笑)

でもこれまた考えてみたら当たり前の話なんですよね。食料品などと違い、ふとんは一度買えば長く使えてしまうアイテム。頻繁に買い替える必要がないだけに、田舎のお店に毎日お客様がたくさん来られるということはありえません。

ここで私なりに強烈な危機感が芽生えました。

『このままじっとしていたらヤバいなぁ』
『そもそも自分は何のためにここにやって来たんだ?』と・・・

そこで私なりに考えたんです。『とりあえず今の自分に出来ることは何?』って。

そこで私の出した結論は『お客様に来ていただけるようにすることが、今の自分に出来る最大の仕事だ』ということ。お店にお客様が来られたら、接客は親たちに任せておけば良いだろうということで、自分のするべきことは『販促』だと・・・誰に命令されたワケでもなくそう決めました。そこで入社して1カ月も経たないうちに自分で勝手にチラシやらニュースレターを作り始めたんです。

最初はいろいろ言われたそうですが?

そりゃ当り前ですよね(苦笑)

親たちから見れば私なんて全くのドシロウト。一方の親たちは、何十年もこの仕事をやってきたプライドもあるはずで、それを差し置いて勝手にチラシやらニュースレターやら、しかもかなり斬新なモノを作り始めたのですから
『何やっているの?』と思うのは当たり前の話ですよ。私が作るものに対して『あれダメ』『これダメ』といろいろと注文をつけられました。

でも私は自分のやり方を決して曲げなかったんですね。

もともと私は頑固な人間です。私なりに西部製綿のためにこれがベストだと考えて始めたことですから、我が道をゆきました。やはり親たちも婿養子に対しては遠慮があるはずでして、そのあたり間に妻を立てて巧妙に(?)立ち回り、自分のスタイルを通しました。実の息子だったらこうはいかなかったと思います。

そうしたところ、意外と最初からお客様の反応が良かったんです。

お客様からいろいろとお褒めの言葉など頂戴するようになりまして、だんだんと親たちから文句を言われることもなくなりました。今ではウチのお客様の中で私の作るニュースレターやDMを楽しみに待ってくれている人が大勢いますし、何より親たちが私の作る作品を楽しみにしていたりします。

自称『日本一文章を書くのが好きなふとん屋』とか?

あくまで自称ですからね・・・でもたぶん誰からもクレームは付かないと思います(笑)。

ちょっと自慢話になりますけど、私の作る販促物は全国あちこちの同業者の中でも結構な評判なんです。私の作るDMやニュースレターはコピーがたくさん出回っているらしく、全く見ず知らずの初対面の方から『せいぶさんのDM見ました。良く出来てますね♪』なんて声を掛けられることもしばしばです。『誰がコピーして渡してるんだろうか?』と不思議に思ったりもするんですけど、光栄なことです。

よく人から『ふとん屋やめて、本を書く仕事をしたら?』なんて言われます。でも私としてはふとん屋という仕事があって、その情報発信の手段として文章を書いているのであって、文章を書くことそのものが目的になってしまったら、多分しんどいというか楽しくないと思うんですよね。

今では接客・販売もバリバリやっている様子ですが?

きっかけは私が入社してちょうど1年後にお店の改装を行い、その時に快眠ひろばのオーダーメイド枕をスタートしたことです。実は最初、親たちにはオーダー枕の導入にも反対されたんです。『オーダーメイドなんて手間を掛けたところで、1万5千円(当時)もする枕が売れるはずはない。』と言うんです。

そこを何とか説得して始めました。

このあたりのいきさつは三豊・観音寺地域ガイドブック『Mitego(ミテゴ)』に掲載していただきました。

ですから『だから言っただろ・・・』と言われないように、私としても最初から必死でした。おかげ様で最初から順調に多くのお客様にご来店いただきました。

1か月ほど経った頃、親が『私もずっと前からオーダー枕をやりたいと思っていたんです。』と・・・お客様に話しているのを聞いた時には『なんと身勝手な(苦笑)』と思いつつも、内心ガッツポーズでした(笑)

その後も真剣に取り組んだおかげで、オーダー枕に関して、当店は全国有数の成功店舗として評価されるようになりました。そんな感じでやっていたら、接客に対して持っていた苦手意識がいつの間にかなくなっていたんです。

もともと私はかなりの人見知りでして、初対面の人と話すのは非常に苦手な人間だったんです。でも今の仕事をやっていて、そんなこと言ってられませんよね。人間ってその気になりさえすれば変われるものです。学生時代とかカネボウ時代の私のことを知っている人が、今の私に会ったら『随分と変わったなぁ』・・・って驚かれると思います。

ふとん屋になって後悔した事はないのですか?

それが全くないんですよ(笑)

ただ・・・この世の中には『上り坂』『下り坂』『まさか』の3つがあると言われていますけど、『まさか』の連続でしたね。平成18年に製綿工場が火事で全焼したのが、その最たるものなんですけど、それ以外にもここではお話しできないような『まさか』がたくさんありました。いつかその事を自伝に書いてやる・・・と勝手に決めているんですけど(苦笑)

ただ強がりでも何でもなく、後悔したことは一度もないんです。もともと私って楽観主義者なもので、少々の逆境や苦労はバネに出来るタイプの人間だと思います。逆に『やりがいあるじゃん』と思えてしまうんです。

いろいろな資格なども取られてるそうですが?

私たちの存在意義を考えた時に、単なる『ふとん』『枕』『ベッド』という道具を売るだけではダメなんですよね。やはりお客様に『気持ち良く眠っていただく』ことが一番重要なんです。そう考えたら単なる商品の知識だけでは意味がないワケでして、やはり『睡眠』に関する正しい知識を持って、お客様にきちんとしたアドバイスが出来ることが大切だと思うんです。

そこで『睡眠環境コーディネーター』『睡眠改善インストラクター』の資格を取りました。あと『整体』や『東洋医学』の勉強をして資格を取ったりもしました。だからと言って施術院を開くのが目的ではないんです。やはり人の『姿勢』の見方であるとか『体』の見方を知っておくだけで、お客様に出来るアドバイスの引き出しは増えます。ですから自分としては、職業は『ふとん屋』ではなく『快眠プロデューサー』だと思っています。

あと素材の研究のために、日本国内はもちろん、海外にも出張したりしています。お客様に出来るアドバイスの引き出しを増やすためには、やはり情報収集は欠かせない部分です。自分のお店の中だけにいると、陳腐化してしまいますからね。

寝具業界のいろいろな役をしておられるそうですが?

それに対してお答えする前に、先ほど申し上げた『まさか』の一つをご紹介します。

世の中ではあまり知られていませんけど、『ふとん屋』ってまさに衰退業界なんです。具体的な数字でご説明しますと昭和60年に日本全国の寝具専門店で1年間に販売された寝具販売額の合計は約4000億円。それが今では約400億円を下回っています。わずか30年の間に10分の1に減っているんです。言ってみれば、かつてふとんはふとん屋で買うのが当たり前であったものが、大手量販店やインターネットの普及により、当たり前ではなくなってきているということなのです。

もともとふとん屋とは縁のない世界で生きてきただけに、そんなことここに来るまで全く知るはずもないワケでして、
『俺が新しく入った業界は、こんなに景気が悪かったんだぁ(-_-)』って感じでした。
まさに『まさか』ですよ(苦笑) ただ私としては、縁あって寝具業界にやってきたのですから、この業界が良くなるための力になりたいという想いは非常に強いです。

現在
『大阪西川チェーン 四国ブロック長』
『快眠ひろばの会 全国本部理事』
をやらせてもらっています。いきなり他所からやってきてた“どこの馬の骨か分からない”ドシロウトだった人間が、今では寝具業界の盛り上げ役として活躍させてもらっているということは、本当に有難いことです。その分いろいろと負担も大きいのですが、それ以上に良い経験をさせてもらっていると思います。おかげ様で全国で前向きに頑張っている同業者とのご縁をいただいています。こういったつながりは今の私にとって非常に大きな財産です。

ふとん屋のどこをどう変えたいですか?

やはり何と言ってもふとん屋のイメージを変えたいです。

私がもと化粧品研究員だった事を知った人に
『せっかく良いところにいたのに、もったいない。』
と言われることが非常に多かったです。

もちろんその人は良い意味で言ってくれていることは分かるんですけど、そう言われると私としては実はあまり良い気がしないんですよね。まるで

『ふとん屋が化粧品研究員より下』

と言われているみたいで(苦笑)ですからそういう時私はこう答えます。『いえいえ。ふとん屋はやりがいのある仕事ですよ。今の方がやりがいがあって楽しいです』と。決して無理して言っているのではなく、心底そう思っています。

ただその一方で、世間一般の方々のふとん屋に対するイメージがどんかものかも私には良く分かります。もちろん決して悪いイメージではないのですが、何となく野暮ったい感じのはずです。少なくとも『格好良い』というイメージではないですよね。

ただこの業界に入って分かった事は、全国にはこの仕事にプライドを持って取り組み、『眠りの事を真剣に考えて』『お客様に良い眠りをお届けしたいと頑張っている人がとても多い』ということ。

実は『格好の良い人の多い業界』なんです。

ですから一般の方々に『ふとん屋は格好良い』と思ってもらいたいですね。そのためにはまず何より私自身が『格好良くあること』が大切です。だからと言って、このことを声高に叫んだとしてもすぐに伝わるはずもないので、まぁぼちぼち頑張ります♪

石川克幸 プロフィール

昭和42年 広島県呉市(戦艦大和の故郷)に藤本家の二男として誕生
昭和49年 呉市立延崎小学校入学
昭和55年 呉市立阿賀中学校入学
昭和58年 広島県立広高校入学
昭和61年 広島大学 総合科学部入学
平成02年 広島大学大学院 生物圏科学研究科入学
平成04年 カネボウ入社 化粧品研究所配属
平成13年 西部製綿の二女 石川裕美と結婚
平成15年 カネボウ退社 西部製綿入社 苗字を石川に改める
平成21年 西部製綿の店長に就任
平成27年 西部製綿の社長に就任

性格
楽天的で前向きだが頑固

趣味
読書(好きな作家は司馬遼太郎)
スポーツ観戦(広島カープの熱狂的ファン)

特技
将棋二段
珠算1級
文章を書くこと
広島風お好み焼きを焼くこと

資格
睡眠環境コーディネーター
睡眠改善インストラクター
中医食療養生士
中医推拿養生士
レインボー医学師範
家庭用物理療法師
級緩扶(ゆるふ)整体士

役職
快眠ひろばの会 全国本部理事
大阪西川チェーン 四国ブロック長
豊浜綿寝具協同組合 理事長
香川県中小企業家同友会 三豊支部長

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自称“日本一”文章を書くのが好きなふとん屋

広島県出身の熱狂的カープファン。かつては神奈川県でカネボウ化粧品研究員をしていました(口紅やマスカラの処方開発担当)。縁あって、今は香川県で寝具店『西部製綿株式会社』の社長をしています。自称“日本一”文章を書くのが好きなふとん屋です。『正しいことを正しく伝える』スタンスで『寝具』のこと『眠り』のことを分かりやすくお伝えしています。