祖母の法事にて ~『今日一日を一所懸命生きる』という法話~

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連休明けの5月7日(火)を臨時休業にして、5月8日(水)の定休日と合わせて連休にし、広島の実家に帰ってきました。

次男マサキが生まれたのが一昨年の8月のことですが、ワケあって実家に連れて帰るのは初めてのことです。つまり長男、次男を2人揃って連れて帰るのは初めてのことです。

2人の大はしゃぎに振り回され、火曜日の夕飯は食べた気がしませんでした(苦笑)

しかしながら可愛い孫の帰省に、じいちゃんばあちゃんは大喜びでした。

さて今回単なる帰省ではなく、昭和62年に亡くなった祖母の33回忌でした。お経が終わった後の住職の法話をご紹介したいと思います。

平成になった時、私(住職のこと)は高校一年生の15歳でした。つまり私は昭和の時代を15年過ごし、そして平成の時代を31年過ごしたことになります。期間的には平成の方が倍ということになりますが、私の記憶の中では昭和の時代の15年間の方がずっと長く感じています。

昭和の時代の私は子供でしたからたくさん遊びました。何にでも興味を持ち、毎日が目新しく、そして楽しかったです。

それに比べて大人になってからは、ややもすると同じことの繰り返しで日々が過ぎてゆきます。そのため一日一日の充実具合では、子供の頃とは比べ物になりません。それが昭和の時代の方が長く感じている理由ではないかと思います。

先日時代が平成から令和へと変わり、国中が祝賀ムードに包まれました。人々がお祝いしたい気持ちは分かります。しかしながら時代が変わったからといって、何かがリセットされたわけではありません。そして平成よりも令和の方が良い時代になるという保証はどこにもありません。

やはりその人その人が、より良い明日となるように、今日をより良く生きる必要があるのではないでしょうか。逆に言えば、その人が生き方を変えずして、勝手に明日が良くなるという考え方は、虫が良すぎるのではないかと思います。

私自身も、仏教系の大学に通ったものの、真面目に勉強をしませんでした。卒業後も本願寺で15年ほど修業しましたが、やはり真剣ではありませんでした。そのため住職という立場になった時に『お経が上手く読めない』『法話が上手くできない』ということに気づき、随分と苦労しました。

ある時『これではだめだ』と一念発起して、気持ちを入れかえました。それからは毎日が勉強の日々です。そして何かを始める時、決して遅すぎるということはありません。

普通に生活をしていると、日々の雑用に追われて、なかなか自分の人生を顧みる機会はないかも知れません。今日のご縁をきっかけ、皆様の日々を一度振り返ってみられてはいかがでしょうか。

今日はカト様(祖母のこと)の33回忌。もしかしたら今日の主役はカト様とお考えかもしれません。しかしながらカト様は極楽浄土で成仏されている方です。今日の法事は、そのような方のために何かをして差し上げる場というよりも、皆様により良く生きるためのお導きの場をカト様が作ってくださったとは考えられないでしょうか?

したがって今日の主役は皆様一人ひとりなのです。

『一日生きた』ということはすなわち『一日寿命を費やした』ということに他ありません。いつか来る往生(死)を後悔なく迎えるためにも、今日という一日がとても大切です。どうぞ一日一日を大切にお過ごしいただければ幸いです。

ざっとこんな内容でした。非常に心に響きましたので、ご披露したいと思います。

連休も終わり、当店は今日からいつも通りの営業が始まりました。世間では5月病云々が取りざたされていますが、私は今日一日を一所懸命過ごしています。

どうぞ皆様におかれましても。

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自称『日本一文章を書くのが好きな寝具店社長』

かつてはカネボウで化粧品研究員をしていました(口紅やマスカラの処方開発担当)。現在は縁あって(婿養子)香川県で快眠寝具専門店『西部製綿株式会社』の社長をしています。自称『日本一文章を書くのが好きな寝具店社長』です。広島県出身の熱狂的カープファン。現在53歳ですが、6歳と3歳の男の子のおっさんパパ。しばらくは『寝具』のことだけでなく『子育て』ネタも書くかも(笑)もと研究員だけあって若干理屈っぽいかもしれませんが、出来るだけ読みやすい文章を心がけています。
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