【自己紹介】自称『日本一文章を書くのが好きなふとん屋』への道(パート4)
- 目次
1.化粧品研究員→老舗ふとん屋若旦那、華麗なる転身のはずが・・・
2.いきなりの逆境
3.ズタズタになったプライド、そして危機感
4.そんな自分に出来る唯一の事
1)化粧品研究員→老舗ふとん屋若旦那、華麗なる転身のはずが・・・
私がカネボウを退社し、妻の実家である西部製綿に入社したのが平成15年8月1日のことです。併せてこの時苗字を藤本から石川に変えました。当時私は35歳でした。
入社当初『引っ越しましたハガキ』用に店内で撮った写真。肩に力が入っているのか表情が硬いですね(苦笑)
苗字、仕事、肩書、人間関係、それまでの35年間を全てリセットして、妻という存在だけを寄る辺に、香川にてまったく新しい人生を始めたことになります。
・化粧品研究員からふとん屋の後継者への華麗なる転進
・男気を出して人生ゼロからの再スタート
・・・と言えば恰好は良いのですが、いざ西部製綿に入社してみると自分の置かれた環境の厳しさを思い知ることになります。
2.いきなりの逆境
まずは(小売)店舗。
8月1日の入社ですからまさに真夏です。
当時の店長だった義母はこう言っていました
『ふとん屋は寒い冬の商売。売れない夏は何もせずにじっとしておくに限る。』
実際その言葉の通りで、店舗はほとんど開店休業のような状態でした。
もともと当社は西部製綿という名前の通り、『綿』や『綿ふとん』の製造・卸の会社でした。
ですから店舗に関しては義母が一人で切り盛りしている状況で、会社の中で小売店舗はとても中途半端な状態にありました。
一方(当時、当社の事業の柱であった)製造・卸部門。
入社早々、当時社長だった義父に連れられて、今日は愛媛方面、今日は徳島方面と日にちを分けて、お得意先回りに出かけました。
正直ショックを受けました。
行くところ行くところ、元気のない得意先(ふとん屋)が多かったです。
もちろん私は店主たちと義父の会話を聞いているだけでしたが、共通して出てくるキーワードは『暇』『昔は良かった』。
この景色を見るだけで将来に明るい展望を描きにくい状況であることは明白でした。
3.ズタズタになったプライド、そして危機感
そんな中、義父の都合が悪く、初めての得意先に一人で訪問した時のことです。
そこで先方の店主から小僧扱いを受けました。
考えてみれば当たり前のことなんです。
私はふとんのこと、製造のこと、コストのこと、納期のこと、全く何も知らないので、何を聞かれても答えられないのですから。
先方の店主は『もうえぇから、そのお茶飲み終わったら、帰ってくれるか。』と言い捨ててその場を去ってしまいました。
それまで35年間藤本克幸として生きてきて、なおかつ11年間カネボウ化粧品研究員として仕事をやってきて、それなりにプライドを持って生きてきたことなど、どこかに吹き飛んでしまいました。
そしてこの時『肩書なんて、それが通用しない場所では全く意味がない。』ということを“痛感”しました。
それは、まさに“痛”でした。
そんな私に義父から与えられる仕事と言えば、工場に入っての製造作業、荷造り、配達といった内容。
しかしながら私は入社早々に、私なりの判断で、自分の土俵は『工場』でなく『店舗』だと決めていました。
ただ・・・その時点の自分には、店舗の活性化に対して出来ることが何もなかったです。
『販売』の経験と言えば、学生時代に1年間コンビニエンスストアのアルバイトをしただけ。
おまけに『寝具』や『眠り』に関する知識も皆無。
『このままじっとしていたらヤバいなぁ。』
『自分は何のためにここに来たん?』
『何とかせんといかんなぁ。』
と危機感だけが芽生えてきました。
4.そんな自分に出来る唯一のコト
8月の終わり頃、私はパソコンに向かっていました。
その時の私に出来る唯一の事、それが文章を書くことだったから。
誰かに伝える明確なメッセージを持っていたワケではありませんが、その時の私の率直な気持ちを文章にしてみようと思ったのです。
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